事実、当時の東西を二分する各々の勢力には、例えば薩摩にはイギリスが軍事援助を行い、幕府にはフランスが軍事援助を行っていた。そしてこの背後には各々の外圧勢力であるフリーメーソンが関与していた。
例えば、観光地長崎市のグラバー邸の持ち主であったトーマス・ブレーク・グラバーは、スコットランド系のフリーメーソンであり、21歳のとき、長崎にやってきた武器商人であった。またフリーメーソンの日本支社長であった。
坂本龍馬と盟友になり、海援隊の創立後、フリーメーソンに入社させ、龍馬をそそのかして武器販売組織「亀山社中」を結成させた。
またグラバーは、伊藤博文、井上馨、五代友厚、森有礼らに働きかけて、秘密裡に日本二分計画を実行していた。ところが龍馬はフリーメーソンの真の意図を見抜き、組織から退社(脱退)の意を現わし、逆にグラバーはその深層部を覗かれた事を知ると、刺客(一般には京都見廻組とも新撰組ともいわれるが……?)を送り、陸援隊の中岡慎太郎ともども、京都の近江屋の二階六畳で暗殺してしまった。
そしてこの事件に仰天したのが、福沢諭吉であった。彼もまたフリーメーソンの結社員であったからである。「今度は俺の番か」と呟いたのは福沢であった。
以降、武士階級嫌い、侍嫌いの福沢は、不思議な行動に出る。
それは刺客に備えて「居合術」を猛烈に稽古し始めたことである。そして福沢の腕前は、居合術の達人の域まで達していたという。これは福沢の賢明な選択であった。
以降、67歳まで命をつなぐことになる。